耳をすませばの原作の漫画は打ち切り?その後が閲覧注意なのはなぜ?

「耳をすませば」はジブリアニメの中でもファンタジー色が比較的薄く、平成初期の日本の日常が描かれた作品ですが、これには元ネタとなった漫画があります。

その原作となる漫画のタイトルは「耳をすませば」で、作者は柊あおいさんです。月刊誌の「りぼん」で1989年8月号~11月号にわたり4回連載されました。その後1995年にジブリアニメ化しています。

月刊誌での4回連載というのはかなり短いストーリーだなという印象を受けますが、実際は1話からの評判があまり良くなかったそうで結果的には【打ち切り】という形で連載が終了しています。

私は原作漫画を読んだんですが、「評判が良くなかった」というのが信じられないくらい素敵な作品だと思っています(⇒耳をすませばの原作とアニメとの違いは?結末や後日談のネタバレあり)。

耳をすませばの原作の漫画は打ち切り?

全4話というのは確かに短いですが、でも作品自体はとても奇麗にまとまっていて読んでいて違和感は全くなく、個人的には普通に良い作品だと思っています。打ち切り漫画にありがちな、後半の無茶な畳みかけとか、不自然な展開などは一切なく、無理やり終わらせた感はまったく感じなかったですね。

アニメの方はもちろん何度も観ましたが今、原作の漫画「耳をすませば」読んでも序盤から素敵なシーンや描写が続き、最後まで奇麗にまとまっているので短編漫画としてはかなりの完成度だと思えます。

なんで打ち切りになってしまったのかはわかりませんが、運悪く当時(1989年)の流行には合ってなかったのかもしれません。

さらにタイミングも良くなかったんじゃないかな、とも私は思っています。

どういうことかというと、「耳をすませば」の作者の柊あおいさんは、「耳をすませば」の連載が始まる1995年まで、彼女の代表作である「星の瞳のシルエット」を連載していて、それが社会現象レベルで大ヒットしていたんですよね。

当時の月刊少女漫画誌「りぼん」の代表作といえば「ときめきトゥナイト」などでしたが、柊あおいの「星の瞳のシルエット」はそれを遥かに凌ぐ人気作になって、りぼんの読者が爆発的に増加し【200万乙女のバイブル】とまで言われるようになりました。その後さらに読者が増えて【250万乙女のバイブル】という称号に変わっています。

全42話で単行本は10巻完結で柊あおいさんの作品の中で唯一の長編漫画でした。

そしてこの「星の瞳のシルエット」が連載終了すると同時に、これを目的に「りぼん」を購読していた中・高校生の読者が離れていき、それが「りぼん」読者の低年齢化につながっていったという背景があります。

なので、そんな社会現象を起こったあと、「星の瞳のシルエット」ロス状態にある読者が、まったく違った作風の「耳をすませば」を読んでも、あまりピンと来なかったという可能性はかなりあるんじゃないかと私は見ています。

柊あおいさんは「耳をすませば」以降は基本的には過去作の番外編や新作を、読み切りの短編として単発で出していく、というスタイルになっていますね。

その中で、

「耳をすませば」の後日談である「耳をすませば 幸せな時間(1995年)」や、雫が作中で書いた小説で「猫の恩返し」の原作にあたる「バロン 猫男爵(2002年)」が生まれました。

耳をすませばのその後が閲覧注意?

「耳をすませば」の実写映画は、天沢聖司と雫の10年後を描いた作品になるので、ネットでは【閲覧注意】とか「わざわざ見たくない」などの声が上がっていますね。

現時点(2022年8月)で存在している「耳をすませば」の後日談といえば「耳をすませば 幸せな時間(1995年)」ですが、そこには聖司が雫に告白してから約2年が経った2人の関係が描写されています。

 

アニメでは中学3年生の聖司が雫に告白しますが、原作では中学1年生です。なので「耳をすませば 幸せな時間(1995年)」で描かれている後日談は、2人が中学3年生の夏休みの8月の時点です。2人はいつもの県立図書館で他愛もない会話をしながら幸せな時間を過ごす・・・というのがラストシーンになるので、おそらく2人は聖司の告白以来、変わらず両想いであることがうかがえます。

そしてこれから公開される実写映画は天沢聖司と雫の10年後を描いた作品なので、アニメの10年後だと2人が25歳とかになっていることになります。

天沢聖司は中学3年生でイタリアのクレモナに3か月修行に行き、一旦帰国してまたイタリアに行くことになります。その後は一人前のバイオリン職人になるまでイタリアに滞在するはずです。

一方で雫は、小説を一旦書き上げた後、高校に進学します。その後も日本で生活することになるはずなので、そうなると聖司と雫は約9700㎞の【超】遠距離恋愛になりますよね。

作中の年度は1997年なのでインターネットなんて全くと言っていいほど普及していません。もちろんスマホもlineも無いし、Eメールもろくにできないです。ということは2人が連絡を取る手段は手紙か、固定電話による国際通話しかありません。

つまり、聖司と雫の2人が10年間遠距離恋愛をしてそのままゴールイン、というイメージはかなり湧きづらいということになるんですよね。

もちろん、中学3年生同士の結婚の約束って素敵ですけど、それがその通りになるのはかなり稀です。高校生カップルがそのまま結婚、というのも無いことはないですけど滅多にないですもんね。

なので、もし2人の10年後、さらに20年後を描く・・・と聞くと、「あまり見たくないかも」と感じてしまう人も多いんじゃないでしょうか。

そういった意味では確かに【閲覧注意】ですね(笑)

でもあの2人ならそのままゴールインしてそうな気もしますが、ゴールインしないとしたら雫の方が天沢を待てずに他の人と・・・というパターンになるのかなと勝手に妄想してます。

なぜなら男は思い出をけっこう引きずるタイプが多くて、その思い出を糧に頑張れたりするからです。もちろん女子も思い出を大切にしますが、男に比べるとけっこうあっさりしていて、男が思い出話をしても「そんなことあったっけ?」とあまり共感できなかったりすることも多々あります。

男は過去の思い出を糧にして今を頑張り、女子はこれから作る未来の思い出を求める傾向にあります。

そうなると、もし2人が結婚しない未来があるとしたら、雫に先に好きな人ができて、天沢聖司は「尊敬する人」という位置づけになるパターンじゃないかなと私は考えています。

まあでも2人が10年後、20年後、どうなっていたとしてもですね、「耳をすませば」に描かれた【思い出】は永遠に存在するわけですし。

実写映画の中で10年後の2人がどうなっていてもまったく問題はありませんよね。ごく自然に受け入れられるはずです。

・・・と自分に言い聞かせています(笑)

 

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