耳をすませばの原作とアニメとの違いは?結末や後日談のネタバレあり

「耳をすませば」はジブリアニメの中でもファンタジー色が比較的薄く、平成初期の日本の日常が描かれた作品ですが、これには元ネタとなった漫画があります。

その原作となる漫画のタイトルは「耳をすませば」で、作者は柊あおいさんです。月刊誌の「りぼん」で1989年8月号~11月号にわたり4回連載されました。その後1995年にジブリアニメ化しています(⇒耳をすませばの原作の漫画は打ち切り?その後が閲覧注意なのはなぜ?)。

ジブリアニメには元ネタとなった原作が存在する作品がけっこうあって、「耳をすませば」以外だと

  • 「ハウルの動く城」(原作は小説)
  • 「風の谷のナウシカ」(原作は漫画)
  • 「魔女の宅急便」(原作は小説)

・・・など他にもたくさんありますが、どの作品も原作との間には少なからず設定の違いがあったり、細かい描写が変わっていたりします。

もちろんどっちが良いというものではないので、原作を読みながらアニメとの違いを探して見つけていくのも、ジブリ作品のの楽しみ方の1つだと思いますね!

今回は「耳をすませば」のアニメと原作と違いをいくつか挙げてみました。大まかなストーリーに変更はありませんが、雫の家族や住居、天沢聖司が目指す夢や家族構成、出てくる猫・・・などの細かい設定や描写に変更がありますよ!

耳をすませばの原作とアニメとの違いは?

カントリーロードがカスりもしていない

ジブリファンなら「耳をすませば」というタイトルを耳にするだけで即座にカントリーロードが脳内再生されるはずです。「耳をすませば」はあの曲無しでは語れないといっても過言ではないんですが、実は原作にはカントリーロードは出てきません。アニメでは雫がカントリーロードの歌詞を後輩のために編集するという作業をやってましたが、漫画にはそういったシーンが無いんです。

なのでアニメで雫がグラウンドの側のベンチで天沢聖司に初めて会ったときに、「コンクリートロードはやめた方がいいと思うよ」からの「やなやつやなやつ・・・・」という流れが少し変わります。

原作ではその代わりに、天沢聖司が教室の雫の机で、雫が借りていた本「フェアリーテール」というタイトルを見て、「いまどき妖精でもねぇよな」からの「やなやつやなやつ・・・・」という流れになります。

ただこのシーン、原作でしか伝わらないニュアンスがありまして・・・それは後に詳しく書きたいと思います。なんで違うクラスの天沢聖司が雫の机で本を読んでいたのかっていう・・・

雫や家族の設定が違う

雫や姉の年齢

アニメでは雫は中学3年生で姉の汐(しほ)は18歳の大学生でしたが、原作では雫は中学1年生(もちろん天沢聖司も中1)、姉の汐(しほ)は高校生でした。この変更点の意図は、「よりリアリティを表現するため」だそうですが、たしかに原作を読んでいると、雫はともかく、天沢聖司の方が中1にしてはちょっと大人すぎないかな?という印象は少し受けました。

アニメで中学3年生とすることでたしかにより自然になったと思いますね。雫のハチャメチャ加減は中3と言われても全然ありえそうな感じでしたし(笑)

母の職業

アニメでは母の職業は学生(大学院生)でした。修士論文で大変、という会話がありましたもんね。長女である雫の姉が大学生だったことを考えると母親の年齢は40代半ばといったところでしょうか。おそらく雫の母親は一度社会人になったり主婦になったりしたけど、どうしてもやりたいこと、研究したいことがあったので思い切って大学院に入り、それに没頭している、ということが想像できますね。

雫に「あなたは好きで勉強してるんでしょ?しっかり勉強しなさい」と言われて、母親が「まかしといてぇ」と答えるシーンもありました。

そう考えると、作中で雫がいきなり受験勉強をほったらかして、物語を書くことに没頭することに決めたというのも、母親の性格を立派に受け継いでいることがわかります。後半の家族会議のシーンで、母親はそれらしいセリフを言っていました。

一方で原作で母親はほとんど描かれていないので、職業は明らかにはなってないですが、朝遅くまで寝ている雫を起こしたりしているシーンはあるので、原作漫画での母親の職業は専業主婦である可能性が高いですね。

雫が電車内で出会う猫

雫が父親が働く県立図書館にお弁当を届けに行く途中に出会う大きな野良猫のムーンですが(聖司がムーンと名付けた)が、原作では「ルナ」という黒ネコとして描かれています。性別は女の子です。

見た目は魔女の宅急便のジジのような細くて小さい黒ネコです。

そおしてそのルナの双子のきょうだいがムーンという名前です。双子なのでムーンももちろん黒ネコで、2匹とも天沢家で飼われている猫なんです。ムーンは男の子なんですが、人見知りで天沢聖司にしか懐かないし、怖がりなのでずっと天沢家にいます。

ルナの方は外をよく出歩き電車に乗って雫に出会ったりもするし、地球屋にもよく遊びに行きます。

アニメではふてぶてしく、近所の犬をからかいながら、民家を渡り歩いて「突撃!となりの晩ご飯」のような生活をしているムーンですが、原作に出てくる猫たちは普通に気ままに生きている猫という感じですね。

地球屋の主人「西 司朗」の設定

地球屋はアニメにも原作にも出てきますが主人である西さんの描写が少しだけ違います。

アニメの地球屋では、「地球屋」の看板の下に「西司朗」という名前が書かれていますが、原作ではその名前が書かれていないので、地球屋の主人の名前はわかりません。

また、西さんとバロンの出会いのストーリーが微妙に違っています。

アニメでは戦前、西さんがドイツ留学中に街のとあるカフェでバロンを見つけて、一目惚れをしてカフェの店長に譲ってほしいとお願いをしましたが、バロンの恋人である人形が修理中だからと断られました。その時に西さんと一緒にいた女性がルイーゼというおそらく彼女で、彼女がバロンの恋人の人形を受け取って、西さんに必ず渡すからとうい条件つきで懇願したらカフェの店長が折れて、西さんはバロンを譲ってもらいました。

その直後に戦争が起き、ルイーゼと所在がわからなくなってしまった、というストーリーが描かれています。

原作ではルイーゼという女性は出てきません。地球屋の主人は50年くらい前に貿易会社に勤めていて日本とヨーロッパを行き来していたところ、ドイツのとある喫茶店の片隅でバロンを見つけて一目惚れ、3日間頼み込んでゆずってもらった。バロンの貴婦人である人形はまだ制作中なので待ってくれと言われたが、とりあえずバロンだけを持ち帰って貴婦人は後から送ってもらうことにしたんですが、その後に戦争が起きて貿易会社も倒産し、バロン作った人形師を探しに1度だけドイツに行ったが見つからずに帰国、それ以来ずっとバロンの恋人の人形が届くのを待つしかなかった、というストーリーでした。

このエピソードの比較に関してはやっぱり西さんが好きだったルイーゼという女性との出会いと別れの切なさと、バロンとルイーゼの出会いと別れの切なさを重ねているアニメの方が個人的には好きですね。

天沢聖司の設定

天沢聖司の年齢や家族構成

雫の学年の話のときにも書きましたが、天沢聖司の学年はアニメでは中学3年生でしたが、原作では中学1年生です。雫とはクラスは違います。

また、原作では天沢聖司には天沢航司という高校生の兄がいます。この兄は弟の聖司と同じく読書好きで、雫や聖司と同じ中学を卒業していて、保健の高坂先生も彼のことを知っていて、雫には「変人」と紹介しています。

さらに天沢航司は雫の姉の汐(しほ)同じ高校に通っていて、2人は付き合っています。

また、原作では天沢兄弟の親は医者で、天沢医院を経営しています。なので親は天沢聖司を将来は医者にしたいと考えていて、聖司の夢には反対しているということでした。

天沢聖司の夢が違う

アニメでは天沢聖司はバイオリン職人になることが夢で、祖父である西さんが運営する地球屋でバイオリン造りに励んでいましたが、原作では天沢聖司は画家を目指しています。なので聖司は地球屋では油絵を描いています。

さらに原作では聖司はまだ中学1年生なので、留学や修行、という話は出てきません。さすがにちょっと早すぎますよね。

アニメではイタリアのクレモナに発つ直前に雫に告白し、そこから2カ月は別の環境で頑張る、というところで1つの区切りになって奇麗にストーリーが完結しますが、

原作漫画では聖司は海外に言ったりはしないので、告白予定の場所(地球屋の近くのあの場所)から朝日がとても奇麗に見えるタイミングでの告白となり、そこから2人の新たな日常が始まるという感じになりますね。

天沢聖司のストーカー疑惑(笑)

天沢聖司はアニメでも原作でも、雫が天沢聖司のことを知る前に、すでに図書カードで雫のことを知っていて、雫よりも先に気になっていたと告白しています。図書館で何度かすれ違ったり、隣の席で読書をしたことも聖司だけがおぼえていました。

聖司は雫よりも先に図書カードに自分の名前を書くためにめちゃくちゃ本を読んだんですよね。雫の気を引くために。本業はバイオリン職人なのに(笑)

そして結果的に聖司の作戦は大成功しましたし、この回りくどさが中学生男子っぽくて素敵ですよね!

 

ただ、原作だと聖司はもう一歩、踏み込んだことをしていまして、それがちょっとストーカーっぽいんですよね(笑)

まあイケメンだから別に良いんですけど、そう思った根拠としては、原作の教室での2人の最初の出会いのシーンですよ。

アニメではグラウンドの側のベンチで天沢聖司が雫が置き忘れた本を読んでいますが、原作では天沢聖司は雫のクラスの教室の雫の席で本を読んでいます

そもそもなんで天沢聖司は、雫のクラスの雫の席で、雫が置き忘れた本を読んでいたんですか?クラスが違うんですよ。

彼は明らかにピンポイントでそこを狙ってますよね(笑)なんとなく廊下を歩いていたら机の上に本が置いてあって、気になってわざわざ知らない教室に入って、手に取ってわざわざ読むかなぁ?

いえいえこれは偶然じゃなくて確信犯です。

聖司はすでに雫が読む本のジャンルや傾向を把握していました。雫よりも先に図書カードに名前を書くためです。でもそれだけじゃなくて、聖司は雫のクラスや雫の席もわかっていました。その机の上に雫が置き忘れた本があったので、聖司が手に取って見てみたら自分が借りたことが無い本だったことにショックを受けたんですよ。だって作戦失敗ですもん。

このとき雫が借りていた本は、ストーリーの冒頭で学校の図書館から借りた「誰も借りたことが無い本」でした。つまり「天沢聖司」という名前が図書カードに書かれていないということです。

雫は「天沢聖司」を出し抜くつもりでその本を借りたわけなので、聖司の知る雫が借りそうな本の傾向からは外れていたんでしょうね。

だからこそ、原作漫画での天沢聖司は「いまどき妖精でもねぇよな」と、その本のタイトル「フェアリーテール」をからかったんですよ。内心は「(おまえこんなん今まで読まなかったじゃねーか!)」と悔しがっていたはずです。

いやもう微笑ましすぎて・・・なんて可愛いストーカーなんでしょうね。

結末や後日談について

結末の違い

アニメと原作での結末には大きな違いはありませんが、聖司の告白の内容というかニュアンスが違いますね。

アニメでは「雫っ!大好きだっっっ!!!」

原作では「君が好きだ」

です。

アニメの告白シーンって大人が見ると思わずニッコリしてしまうというか、中学生同士が結婚の約束をすることの微笑ましさがあるんですよね。最後に聖司が雫を抱きしめ方がもうね、「ギュ」じゃなくて、「ガバっ!!」という感じで勢いがあるから子供らしさが伝わってくるんですよね。そして次の瞬間にはエンドロールですから(笑)

一方で、原作の聖司の「君が好きだ」は大人顔負けの真剣そのものでした。聖司が地球屋で描いていた女性の肖像画のモデルは実は雫だったことを打ち明け、雫はそれを自分の姉の汐(しほ)だと勘違いしていて、自分のことは好きじゃないと思っていたから驚き、雫は涙を浮かべながら「あなたが好き」と返事をしました。

いやこのテンションの違いよ・・・でもどっちも最高なんですよ。

後日談は原作ではなくて番外編で描かれている

アニメの「耳をすませば」は天沢聖司が雫に告白して雫を「ガバッ!!」と抱きしめた瞬間に、電撃エンドロールが始まります(笑)

エンドロールで少し描かれている後日談は杉村と夕子が仲良く歩いている様子だけでした。

いやもちろんそれも気になるんですが、やっぱり聖司と雫がその後どうなったか、という後日談を知りたいですよね。

その後日談に関しては、原作の番外編「幸せな時間」というタイトルの漫画で少しだけ描かれています。

原作の番外編になるので、アニメの後日談ではなく、原作漫画の後日談になります。とはいっても少しだけなので情報も少ないんですが、雫が中学3年生になっ高校受験を控えている時期に、友人と天沢聖司のことについて話していたシーンがあります。

原作では天沢聖司は雫に中学1年生の時に告白しましたが、中学3年生になっても2人の気持ちは変わらずで、両想いであることがわかります。彼氏彼女、という表現は出てきてないんですが、おそらく付き合っているんだと思います。最後のシーンも図書館で2人の幸せな時間を過ごしていましたよ。

 

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