耳をすませばの天沢聖司の留学先であるイタリアのクレモナってどんな街?

アニメ「耳をすませば」の天沢聖司は、バイオリン職人を目指してイタリアの「クレモナ」という街に修行に行くことを雫に伝えます。

まずは地球屋の西さんの知り合いでクレモナにいる職人さんの下で3か月修行して一旦日本に帰国し、中学を卒業してから正式にイタリアで修行するということになりました。

私は「耳をすませば」はもう何度も観ていますが、そのたびに気になるところが毎回違うんですよね。これは歳のせいでしょうか。

今まで天沢聖司の留学先をそんなに気にしたことはありませんでした。「たしかイギリスだっけか・・・?」と言っていたくらいです。

でも久しぶりに「耳をすませば」を観ると、「へぇイタリアだったんだ・・・くれもな?・・・どこ?」とちょっと食いついてしまいました。

というわけで天沢聖司の修行先であるイタリアの「クレモナ」ってどんな街なんでしょうか?

目次

イタリアのクレモナってどんな街?

イタリアのどの辺にあるの?住所は?

クレモナはミラノの南西に隣接する「クレモナ県」の県都です。

正確に住所を言うと、イタリア共和国⇒ロンバルディア州⇒クレモナ県⇒クレモナ、になります。

日本だと県の中に市町村の自治体がありますが、イタリアには市町村はありません。

クレモナ県の「県」は「コムーネ」と呼ばれる自治体に似た共同体で、「県」の中には最小単位である「都市」がいくつか所属しています。

で、そのクレモナ県の中心となる県都が「クレモナ」というわけですね。

ちなみにミラノ県の県都はもちろん、ミラノです。

クレモナってどんな街なの?

聖司のバイオリン職人としての修行先であるクレモナは、彼の祖父であり地球屋の主人でもある西さんが聖司に推薦した職人さんがいる街です。

作中に出てくることからバイオリン造りで有名な街なんだろうなと予想できますが、その通り、めちゃくちゃ有名な街です。

クレモナは、なんといってもあのストラディバリやグァルネリなどの超有名なヴァイオリン職人が暮らした街で、今でも80以上の工房があり、たくさんの職人さんがヴァイオリンを製作しています。

ストラディバリの工房跡は観光地として今でも多くの人が訪れています。

クレモナはなんで楽器職人の街になったの?

そもそもなぜこの地がバイオリン職人の聖地となったか、については諸説あるそうであまりよくわかっていません。

ストラディバリが生きたのは1640年代~1737年なんですが、それから遥か前の1160年~1170年あたりに建てられたクレモナ大聖堂は明らかに音楽活動の拠点だった痕跡が残っているそうです。

クレモナが本格的に音楽の中心地になっていったのは、クレモナの司教だったグレゴリウス14世の時世(1590~91)からで、彼がクレモナの音楽家たちの本格的なスポンサーになったことがきっかけで、クレモナは徐々に音楽の街としての地盤を固めていったとのことです。

ちなみにグレゴリウス14世は世界史の教科書には出てこないですが、あのフランスブルボン朝初代国王アンリ4世を破門にした教皇です。グレゴリ暦を採用したグレゴリウス13世の方が有名ですね。

話を戻すと、当時はイタリアという地域は当時はバラバラで国家という概念はなく、ヴェネツィア共和国やミラノ公国などの複数の都市国家同士がシノギを削っているという常に不安定な状況でした。

なのでクレモナもヴェネツィア共和国の一部だったこともあるしミラノ公国の一部だったこともあります。さらにはスペインやフランスの支配下だったこともあります。

そんな中、クレモナは大国同士の争いに常に巻き込まれながらも、楽器の街としてなんとか生き残ろうと頑張っていましたが、少しずつ衰退の一途をたどっていました。

1737年のストラディバリの死後は後継者がいなかったので、ストラディバリの用いた製法は失われています。

そして1745年にはほとんどの楽器職人がクレモナから去り、クレモナでの弦楽器製作の伝統もいったんは途切れてしまいました

最終的にクレモナがバイオリン職人が活躍する街として現在の地位に至ったのは、皮肉なことにあのムッソリーニの功績です。

彼はイタリアの軍事力を高めるために国内産業の徹底的な強化を行いました。公共事業として多くの投資をし、国の生産能力を高めて他国との競争に勝とうとしました。

もちろんどこの国でもそうしていたんですが、ムッソリーニはその過程で、クレモナの楽器製造事業を支援し、楽器職人に最高の環境を与えていったんです。

ただもちろん、ストラディバリのバイオリン製造技術はもう失われていたので、クレモナ外のいろんな地区から移入された製造技術を取り入れて1700年代に全盛だった「楽器製作の街」を復興するという意味での支援でした。

そして結果的にクレモナは現在に至る、世界の楽器職人が集まる街、という地位を固めることになったんですね。

当時のストラディバリの弦楽器製造技術を再現する試みは現在も続いています。

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